一番はじめに作った人がえらいって誰が決めた?
一番はじめに情報を取得した人がえらいと思われる文化はまだそんなに浸透していない。
一番はじめに取得したかどうか判定するのが難しいし、そう証明するのが難しいからだ。
でもえらいとは思わない。なぜなら一番はじめに見つけたことを認定してくれる2番手がいないとだめだし、2番手は3番手がいないと成り立たない。
この世のすべての人に浸透するなんて物理的にありえないから、どこかでその情報は消滅しちゃうんだけど、ホットな人々はたしかにいて、また次のホットな話題を探しに行く。
大小さまざまなホットがあるけど、灯いては消えて、消えてはまた灯く、情報の炎は命のそれと同じように世界中で灯いたり消えたりしている。
一番はじめにたどりつくよりもどれだけ多くの人に橋渡ししたかが重要ではないのか。普段から誰からもらって誰に渡すか精密に把握する必要まではないけど、どういった層から受け取ってどういった層に渡すのかを明確にできれば情報のキュレーションはうまくいくと思う。
このキュレーションに対価が支払われるようになった時に、情報を作り出した人の価値ってどれほどのものなんですかね。
作った人よりもたどりついて広めた人のほうが偉大な文化の方がこの先生きのこるんじゃないですかね。
クリエイターの価値を下げるような物言いをしてしまったけど、じつはキュレーションこそがクリエイターの価値を最大にする道筋なのかもしれない。
ものづくりのモチベーションは下がるかもしれないけど、必要性は増すばかり。キュレーターすげえええええってなる世の中になるけども、その背後にいるクリエイターの影は濃くなる気がする。
togetterやNAVERでまとめつくって、広告貼ってそれだけで収入が成り立つ日が来るのは来年だと思う。
そんなことを考えました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
http://no2.adbe-d.net/diary/kate11/page1.html